天草島原の乱後、民心安定のために建てられたお寺の一つ。創建は慶安元年(1648年)。
【本堂や庫院の天井】
幕府の威光を示すため本堂内に徳川家康をはじめとする徳川家の位牌がある。本堂や庫院の天井には美しい花や鳥の絵が描かれている。
【加藤民吉翁の碑】
15世住職の天中和尚が、瀬戸焼の陶祖・加藤民吉を高浜焼窯元上田家に仲介したことから、境内に記念碑がある。
加藤民吉は、江戸中期、瀬戸の陶業の衰退により磁器への転換に瀬戸陶業の生き残りをかけ、磁器窯修行に天草へ来た。1804年に同郷である東向寺の天中(てんちゅう)和尚を頼りに高浜の上田宣珍(よしうず)の元で製磁技術を学ぶ。しかし色絵の配合法を教授されず、やむなくいったん天草を離れ長崎で色絵の配合を会得。再び来島して宣珍と再開し、民吉の瀬戸復興への情熱に動かされた宣珍は、彩料の配合処方を書物にし民吉に与えた。こうして、様々な苦難の末民吉は瀬戸に帰り、磁器焼色絵の製法をもとに磁器焼を盛んにしした。やがて、瀬戸の磁器は飛躍的な発展をとげ、加藤民吉は瀬戸焼の磁祖として仰がれるようになった。