Report 005

年に一度だけ現れる”村”の謎

歴史・文化 疑問・質問
本渡エリア

調査依頼

先週末、牛深ハイヤ祭りを見に行ったのですが、その途中で物凄い数の「かかし」がいました。「かかし村」と書いてありましたが、なぜこの地域にかかしがたくさんいるんですか?

M.S 様(※本名の場合はイニシャルで表記させて頂きます)

依頼内容の時点で「出オチ感」が否めない今回の調査隊(笑)

つまり、年に1度だけ、毎年春に「かかし村」が現れる”あの地域”の事ですね。

偶然にも「かかし村」開村からちょうど10周年という事で、かかし村の村長さんにお話を伺ってきました!

今回の先生:碓井 弘幸 さん
(宮地岳かかし村 初代村長)

【きっかけ - なぜ"かかし"だったの?】

以下、
「調」:調査隊
「村」:かかし村 村長 碓井先生

調:という事で早速ですが、この宮地岳町でかかしの取り組みが始まったきっかけを教えてください。

村:元々学校の先生をしていたので天草を転々としていて、この生まれ故郷に帰ってきたのは本町小学校の校長を退職した年でした。それからしばらくの間、地元の振興会長や公民館長等をやっていたのですが、その公民館長をしていた時に、この地域に「ふれあいサロン」という地元の方々が集う場がありました。

 当時のふれあいサロンはみんなでお茶を飲みながら歌を歌ったり踊ったりして楽しんで帰るというものでした。高齢者の皆さんが活発に活動されている姿を拝見し、館長の立場からかかしの作成を呼びかけたのがきっかけでした。

 なぜ”かかし”だったのか?というと、当時から私が趣味で能面を作成していて、それを応用し、同じ顔ばかりではなく、一つ一つ顔の表情が違うかかしを作る事が出来そうだったので、かかしを作ることを提案しました。

国道沿いに看板を掲げているかかし達

 かかしの顔は作れると思っていたものの、よくよく考えたら、これまでかかしを作った事はなく、ふれあいサロンの皆さんと悪戦苦闘しながら完成したのが最初の6体でした。これが今から15年ほど前の事です。(※2023年時点)

 その6体のかかしを国道沿い(現在の豆木場会場の片隅)に並べたのが一番最初のきっかけです。

調:最初は6体から始まったんですね。

【最初の6体から町民を超える数に増えるまで】

調:15年前の最初の6体のかかしから始まったこの取り組みですが、今では100倍(!)の約600体に増えているそうですね!宮地岳の町民の数が463人(※R4年度 天草市統計書より)との事ですが、いつの間にか町民の数を上回る事になるなんて、想像できましたか?

村:当時の私もこんな事になるとは思いもしなかったですね。

 最初の6体を飾ってから、道行く人が写真を撮ったりされている姿を見かけるようになり、嬉しかったことを覚えています。中にはその写真をわざわざ送って下さった方もいたり、東日本大震災の際には募金箱を設置したのですが、想定を超える5万円ほどの募金が集まり、これにはサロンの皆さんも思わぬ反響だったようで、ビックリされていました。

 その募金をメンバーと共に社協さんに持って行ったのですが、その時の経験で「田舎で暮らしてきた年寄りの自分たちでも、まだまだ社会の役に立つ事が出来るんだ!」という一つの成功体験のような経験をする事が出来ました。

 中にはそういった経験が初めてな方もいて、自信や励みに繋がり、その話を聞いた方々が徐々にかかし作りに参加して下さるようになり、年を追うごとにかかしが増えていくこととなりました。

 やがて宮地岳地区振興会の耳にも入り、振興会が関わってくれたおかげで一気に関わってくださる人が増え、いつの間にか、気づいたら町民の数を超えるまでになっていました。ここまでやってこれたのも、地域の皆さんのおかげです。

調:素晴らしいお話ですね…(感動)

当時ご尽力された宮地岳の地域の皆さん。…と思ったらリアルなかかしでした(笑)

【「道の駅 宮地岳かかしの里」ができるまで】

調:町民の数を超えるのも「まさか」でしょうけど、宮地岳に道の駅が出来る事になり、その道の駅のメインテーマが「かかし」になるなんて、それこそ「まさか」だったかと思いますが、どのような流れで完成したのでしょうか?

村:最初は天草市の方から打診があったようで、当時の中村市長(※故 中村 五木 前天草市長)が、かかし村の開村式の時に仰っていたのを覚えています。

 宮地岳には今でもこれと言って大きな商店があるわけでもなく、地元の人が「なにもない」と言っていたくらいの農村地域で、言うなれば本渡~牛深間の通過点でしかなかったので、この話は地元の人たちの中でも割と好意的に受け取る方が多く、あっという間に話が進んでいきました。

 個人的に思うのは、市や町からの補助や援助もなく始まったこの"かかし村"の取り組み(=町民の思い・気持ち)が、市長に伝わった、言い換えるならば、かかし達がその思いを届けてくれたんだと思っています。

調:地域唯一の宮地岳小学校まで廃校となり、沈んでいた皆さんの気持ちが晴れるような思いだったんでしょうね。

平成24年3月に廃校となった、旧 宮地岳小学校を再活用した事が伺い知れる道の駅の外観。

【どうやって作っているの?】

調:先程もおっしゃっていましたが、作った事の無いかかしを作るにあたって、どのように出来上がったのでしょうか?

村:そうですね。先程も少し触れましたが、いわゆる”一般的なかかし”は一度も作った事が無かったので、宮地岳のかかしは全て、これまでみんなで試行錯誤して作った、完全オリジナルなんです。

 最初は顔の作成も風船に新聞と和紙を貼り、着色したものだったので、強度が足りずにすぐ潰れたり、雨で溶けたり…大変でした。

 当時は、海から流れ着いたブイなどに使われる発泡スチロールやビニールハウスの針金などの農業用廃材、もみ殻や藁などを使って、全て拾ってきたごみや農業用の廃材、普段なら捨てるような要らない物で作っていました

 現在では、ゴミも減ってきたり、ハウスの針金も固すぎて動きがつけづらかったりと、私たちも試行錯誤の間に色々と学んできたため、最近はホームセンター等から自由に動かせる太さの針金など、かかしの部材を購入したりしていますが、今でも最後に着せる洋服などは、皆さんが着なくなった服や靴を頂いて、かかし達に着せています

調:あのかかし達は昨今話題の「SDGs」の役割も果たしていたんですね。

村:最近のかかしは、手指や各関節も自由に動かせるように進化してきました。最初の6体の時からすると、かかし達も随分と”成長”しました。

「これが実はこうなっていて…」と実演を交えてご説明頂きました。

【これまでの苦労と、今後に憂う事】

調:これまでの15年に渡る碓井先生と地域の皆さんの活動の中で、苦労されたことなどはありましたか?

村:おかげさまで、関わって下さる皆さんや、宮地岳町の協力のおかげで、苦労したと思ったことはないですね。

 昔の田舎といえば、今のように農業機械などもない時代ですから、家族総出で田植えや稲刈りをしたり、人手が足りなければ隣近所から加勢に来たり、冠婚葬祭だって近所の人たちが総出でやってました。今みたいに斎場や結婚式場も無い時代ですからね。

 だから「ご近所付き合い」があり、みんな仲間意識が強く、何かあったら駆け付け、困っていたら率先して手伝いをしたり、みんなで一緒に泣いたり笑ったりしてきたわけです。

 でも現代では便利になりすぎたのか、そういった「人との付き合い」や「ならわし」が薄れてきていると感じる時もあり、何か"日本人として大切なもの"を失ってきているのではないかと思っています。

 また、関わって下さる皆さんの大半が高齢者なので、この15年の間にかかしの家を建ててくれた大工さんが亡くなったり、後期高齢者となり、手伝いが難しくなってきた方が増えたりと、高齢化率の上昇と人口減少に起因する、田舎の地域ならではの今後を憂う思いはあります。

確かに「昔の田舎」といえば、この写真のようにみんなで一緒に行事を楽しむ印象がありますね。

【かかし村の今後・夢・未来の理想形】

調:では、碓井先生にとって、今後のかかし村がどのようにあり続けて欲しいか、夢や理想形の様なものはありますか?

村:一番は、地元の我々にとっても、道行く旅人の皆さんにおいても、このかかし村や道の駅が「憩いの場」であって欲しいと思っています。それは先程お伝えしたような「人のぬくもり」であったり、田舎の伝統や風習をここで感じてもらい、後世に繋いでいって欲しいからです。

 そういった「田舎の心」が消えゆく事の無いよう、日本人として大切な心の部分を、かかし達を通じて今でも伝えてくれていると思っていますし、これからもそうあって欲しいと願っています。

 私もかかし達から随分と色々な事を教えて貰いましたし、一人でも多くの方に同じ思いをかかし達から感じ取って頂けると幸いです。

いつでも暖かく迎えてくれるかかし達を見ていると、「心安らぐ憩いの場であって欲しい」という思いが伝わってきます。

【最後に一言】

調:長くなりましたが、最後にご覧頂いている皆さんに一言、何か頂けますか?

村:宮地岳だけの話ではなく、皆さんそれぞれの「ふるさと」を見つめ直して欲しい「あたたかさ」をもう一度感じて欲しいと切に望みます。「自分の田舎には何もない」ではなく、見つめ直せば何かあるはず。それが形にならない気持ちや思いであったり、何気ない風景であったり、何でもいいんです。何もない事はないはずです。

 この宮地岳だって「何もない」とずっと言われてきた地域。でもちょっとした「小さな喜び」をみんなと少しずつ分け合って、同じ思いを共有し合っていった結果、15年も続ける事が出来た

 若い人たち(※1)も参加してくれるようになり、若い人たちは道の駅を、私たち後期高齢者は豆木場会場を、という感じで、関わる人が増えるとともに、自然と組織のような作業区分けみたいなものも出来てきた。別に誰かが言い出したわけではなく、自然とそうなったのは「何もないこの町にも”何か”(=故郷に対する思い)があった」からこそではないかと思います。

(※1 注:先生のおっしゃる「若い人たち」60代の前期高齢者中心のメンバーだそうですw)

今年はこんなアクロバティックなかかしも登場!「若い人」たちの発想力と行動力に驚かされます。

村:かかしの作成や設営に関わって下さる高齢者中心のメンバーは、人から喜んでもらう事を「生きる喜び」として生きがいに感じ、その思いを感じたからこそ、今度は田舎の仲間意識から「誰かの役に立ちたい」と思うようになり、その和が広がっていったんじゃないかと思います。

 近所のデイケアなどの施設からわざわざ見に来て下さる方々も、「施設ではこんな表情見たことない」とおっしゃるくらい、高齢者の皆さんが生き生きと楽しげな表情をされるそうです。それを聞いて本当に嬉しかったです。

 ご家族と一緒に見に来てくれた子供たちが、かかしのポーズを真似したり、走り回って大きな声で楽しそうにしてくれている姿が、この小学校跡地で見れて、本当に幸せなことだな、と毎年感じています。

 「人から喜ばれる」という事が、我々高齢者にとっても「生きている実感」を生んでいて、「また喜んで欲しい」という地域が一丸となった、故郷に対する強い思いがあるから、ここまで続けてこれたと思いますし、これからも是非続けていきたいと思っています。

 是非に皆さんもかかし村に遊びに来てくださいね。たくさんのかかし達と一緒に宮地岳でお待ちしています

調:本日は大変貴重なお話、有難う御座いました!

皆さんのお越しを沢山のかかし達がお待ちしています!

【第10回 宮地岳かかしまつり】
 2023年GW中もかかしまつり開催中
 詳しくはこちらをご覧ください。

【取材協力】
 道の駅宮地岳かかしの里
 天草市宮地岳町5516-1
 TEL:0969-28-0384
 定休日:第1・第3水曜
 http://kakashinosato.jp/

かかしと優しく朗らかな笑顔の村長の2ショット

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