石造桁橋では国内最大級、しかも全国的にもまれな「多脚式」ということで、『国の重要文化財』に指定されている。柱状の石を組み合わせた素朴なつくりで、橋脚は水切りのための三角形の流線型になっている。長さ28.6m、幅3.3m近くもある橋間に、約30㎝の角柱が5列9行45脚によって支えられている。
建造年代は天保3年(1832)で時の庄屋大谷健之助が発起して、地元銀主を始め、庶民の協力によって、切支丹殉教戦二百年祭を目途に着工し完成。石材は下浦産で石工も同じく下浦の石屋辰右衛門。
寛永14年(1637)、島原・天草一揆で町山口川を挟んでキリシタン軍と唐津藩との死闘が繰り広げられた。川原を埋め尽くした屍を弔うように橋の近くには橋本徳壽の歌碑が立っている。
※パソコンの登録上「祇園橋」と表記されますが、祇園橋「祇」の表記は、ネ(しめすへん)に氏